「わに」と「にわ」?冗談でしょ。いえ本名なんです。名前も反対ですがキャラクターも対極なところがある2人の比較プロフィールです。
2人は大学卒業後、同じ会社に同期入社しました。1年後それぞれ別の道へ。その後も交流を続けながら、今度は事業主として再び共に事業をすることになり現在に至ります。
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得意なこと | わかりにくいことをわかりやすく伝える翻訳家 | いろいろな思惑が絡み合った交渉や営業 |
モチベーションの原点 | 成長の実感(昨日までとは違う自分になっている) | 好奇心(自分が知らない世界を知ること) |
コンサル現場で意識していること | 本当に本人が望む方向に向かっているか? | 相手が楽しく話せているか?(楽しくなければアイデアはでない) |
心の栄養補給方法 | ・格闘技を見る ・アロママッサージをうける ・映画館で映画を観る |
・土臭い場所の旅行 ・友達と舞台裏話をする ・雑誌の乱読 |
モデルとしたい人 | ・堀貞一郎 ・アントニオ猪木 ・宗道臣 |
・盛田昭夫 ・堀貞一郎 ・松本人志 |
お互いについて | 丹羽は、商品の最大のセールスポイントを見抜き、言語化する能力が非常に高い | 和仁は、わかりやすく体系化する能力が非常に高い |
ユメオカにおける担当 | わかり易い、使えるツールの作成、コンサルタントの後方支援(サービス品質の向上) | 参加人数限定説明会の主催、クライアントの後方支援(方向性の確認など) |
今日にいたるまでのプロセス | 22歳で「コンサルタントになれば、憧れの社長に早くなれる」という安易な発想のもと、農学部から文系就職し、会計事務所のコンサルティング部門に入る。 23歳で異動に。コンサルティングを学ぶはずが、新規開拓営業(ドブ板営業)を3年間行うことに。当時は嫌で仕方がなかったが、今ふりかえれば中小企業の悩みを肌で感じ取る貴重な機会となった。 26歳の終わりに辞表を提出。転職も考えたが、27歳の誕生日にコンサルティング事務所の開業を決断。「若さ」がネックになるかと思いきや、逆に武器に。資格なし、顧客なし、経験わずかに預貯金90万円での無謀なチャレンジだったが、年初に書いた計画に沿って前進した。 31歳から本の執筆や講演活動に注力。また、営業のプロである丹羽浩之と共に活動範囲を広げることを決意。小企業が全員参加経営を実践するサポートに力を入れる。現在、(株)ワニマネジメントコンサルティングと(株)ビジョナリープラネットの代表を務める。著書に「逆ザヤ社員が稼げる社員に変わる法」「脱★ドンブリ経営」など。 |
22歳で「会計をきちんと知れば一生の財産になる」と思って会計事務所に入るが、ひたすら電話セールスを実施。ここで和仁達也と出会う。 23歳で「売れる」ためには自分が体験し実践し、実感しなくてはお客さんに真実が伝わらないと思い、システムを作りながら営業を体験するが、ほとんど売れない時代が続く。 27歳で「売れる」には成長初期の売れるものを選択することが一番と思いアメリカの会社に入社。数々の営業のプロの売り方を間近で実感させて頂き、ここで本物のセールスに目覚め、自らも実践し思った以上の成果を得た。 31歳で大手法人向けのセールス活動では「人として刺激ある出会い」がほとんどないことを実感。そして、今まで営業を通じて見に付けてきた「コミュニケーション」は全員参加経営の最大の武器であることに気づき、独立。現在までに10社以上の全員参加経営の支援を自ら訪問して行っている。社員10人程度でも最高の勝負に挑んでいる会社が大好きである。 |